今日は父の七回忌です。
地元でいうと、ちょうど7年目ごとに開催される御柱祭(おんばしらさい)の時期に父は亡くなったんですね。
だから今はその御柱祭のシーズン。
今回は父の話をしようと思います。
父は幼少の頃、父を除く家族4人を病で失ってしまった(ということになっている)。
大きなお店をやっていたらしい。
家族を失い、親族から見放され、父に残されるものは一切無く、児童養護施設に預けられたのです。
その後、長野県木曽郡の極楽寺というお寺が父を引き取った。
修行の身ゆえ、一切の自由は無かったという。その厳しさは、はかり知れなかったという。
成人して、一般の暮らしを望んだ父は独立の道を選び、料理人として無一文からの人生をスタートした。
日本料理専門調理師。僕は芸術的な料理を時々見せてもらったことがありました。
遠足や運動会のときは、いつも一品だけ父の作品が入っていて、クラスのみんながそれに興味を持ってくれた。
字も絵も達筆、お説教は説法みたいでしたよ。
父は孤独だったけど、だから誰にも負けない意志を強く持って、何事にも真剣に取り組んだ。学べなかった学習を通信教育で学んだ。
がむしゃらに働いて、働きまくって、
そして母と出会い、家族を持ち、僕が11歳の時 家も建てた。
父は もの心ついてから経験したことのなかった「家族」というものを一生懸命守ってくれた。
いつでも忙しくしていた父は、ある日僕が実家へ戻り二人きりになったとき、
「あと5年で60歳。その頃、やっと楽に暮らせるようになる。」
計画的に生きてきた父は、偽りの無い想いを僕に語ってくれた。
しかし、がんが見つかり、翌年この世を去った。
まだまだ夢を持っていた父は、最低でも幼少に失った家族全員の年齢を足した分は生きると話していたことがあったけど、病魔には勝てなかった。
こんなに必死に生きて、こんな命の終わりを迎えたことに、やり場の無い怒りを覚えた。
天国に行くことや、生まれ変わることなどどうでもいい。
現世を生きることを願っていただろうし、少なくとも僕はそれを願った。
死に至るほどの病に侵され、願っても願ってもそれを叶えるものは無くね。
健康に生きてこそのものだと感じ、そして願いは自らが叶えていくものなんだと。
小さな子供が、やむを得ず児童養護施設で暮らさなくてはならない心情は、本人でしか分からない。
だけど、それを助けようとする人たちがいるから。
僕たちにできることは、そこで働く人たちと子供たちのための力になる術があるということを知ることなんだ。
以前のブログで、ある支援団体の話しをしたのはここにつながります。
父さん、
僕はいまだに母を心配させるような息子です。
だけど、父さんのおかげで、歳を重ねるにつれて分かってくることがあります。
限りある家族の時間を体感でき、家族が一緒に過ごせたことは、
とても幸せなことで、
とても大切な時間だったということを。
病床でもらったこのメモは、僕のたからものです。
■父の話(以前のブログ記事)
父は生きてる
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